興味の壺

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慈照寺観音殿(銀閣)

慈照寺観音殿(銀閣) 慈照寺観音殿(銀閣)

銀閣寺と言われる空間に踏み込む。
先ずは、建物と庭園の調和に驚く。
観光客は多いが、一見の価値は確かにある。

銀閣と呼ばれる観音殿を取り込んだ、素晴らしいデザインの庭園。
この空間を設計した職人の感性の豊かさというか、庭園への認識の深さと言おうか、結果的にか、意図的にか、不変を表現したような造詣に、観音殿が一体となって存在する。
研ぎ澄まされた日本の感性が存在している。

慈照寺観音殿(銀閣) 慈照寺観音殿(銀閣)

いわゆる銀閣は「慈照寺(じしょうじ)(注1)」の観音殿をさし、木造2階建ての楼閣建築。
室町幕府8代将軍の足利義政によって創建。
東山文化を代表する建築と言われる。

初層は「心空殿」と称し、住宅風の造り。
屋根は宝形造、柿葺(こけらぶき)。
上層は「潮音閣」と称し、初層とは違い、禅宗様の仏堂風な造り。
花頭窓(釣鐘様の窓)が、建物によく似合い、渋い雰囲気を醸し出し、庭園に違和感なく溶け込む。
ただ、一部をかき取ったような初層の構造は、安定感を削ぎ、個人的にはどうかと思うのだが・・。

慈照寺東求堂 慈照寺東求堂

同じ境内に建つ東求堂は、文明18年(1486年)の建立。
足利義政が、持仏堂(注2)として建てた、室町時代から残る数少ない建物。
同仁斎(どうじんさい)と呼ばれる四畳半の部屋は、書院造(下記参照)の原形とされる。
銀閣と共に、国宝指定。

注1:慈照寺は、京都市左京区銀閣寺町にある、臨済宗相国寺派の仏教寺院。
注2:日常的に礼拝する仏像や、位牌を安置する堂

東山文化とは
東山文化とは、室町時代中〜後期の文化を指す。
八代将軍足利義政(1436年-1490年)が築いた京都の東山山荘を中心に、武家、公家、禅僧らの文化が融合して生まれたとされる。

北山文化を受け継ぎつつも、質素な生活を求め、厳しい戒律を求める禅宗の影響を強く受け、簡素で洗練された文化。
公家(貴族)、武家、宗教それぞれの文化が融合し、庶民も含めた様々な身分の人々や地方にも広る。
日本様式と認識される、様々な手法、様式の基本が創られたと言っていい文化。

書院造
慈照寺における書院造は、東山山荘(銀閣)の下層や、東求堂に造った部屋「同仁斎」に見ることができる。
床の間、違い棚が作られ、襖や障子を設け、部屋の一部に敷かれていた畳は、部屋全体に敷かれ、建物には天井が張られる等の特徴を持つ。
近代の和風住宅の原型と見なされる。

庭園
庭園は、禅宗の影響をうけた枯山水という造りが特徴(この時代の特徴)。
枯山水とは、石や砂などを使い、水、自然、宇宙に繋がる仏教観を再現するもの。

他にも、水墨画と大和絵、茶の湯と生け花の発展があった。
東山文化には、日本のアイデンティティを明確化していった文化の開花や醸成が、確実にあったと感じる。