宇治上神社
宇治川を挟んで平等院の反対側、宇治橋を渡り、川に沿った小道を遡ると、宇治神社があり、道の途中で、川から山側に進むと宇治上神社に行く。
細い参道、駐車場もなく、訪れる人も少なく、小さくひっそり、国宝宇治上神社は佇んでいた。
派手さや豪華さとは無縁の、控えめな佇まいは味わい深いものがあった。
宇治上神社 拝殿
参考サイト:旅すずめ 〜デジカメ片手の旅ブログ〜
しかし、その起源は古く、神託を受けた醍醐天皇が延喜元年(901年)に社を建てたことによるという説があるが、定かではない。
ただし、延長5年(927年)に編纂された、全国の神社一覧、「延喜式神名帳」に、その存在を確認することができるから、それ以前に創建されたことは確実だと考えられる。
天喜元年(1053年)に、平等院鳳凰堂が建立されると、宇治上神社は鳳凰堂の鎮守社としての役割をはたすこととなる。
現存する神社建築では、日本最古のものとして、1952年に本殿・拝殿が、国宝に指定され、1994年(平成6年)には、平等院とともに世界文化遺産に、「古都京都の文化財」の1つとして登録された。
神社建築は、一定の期間を経過すると建替えられて来た。建替えることにより、その様式と技術を伝承している。
そのため、仏教建築のような古いものはほとんど残っていない。最も古いとされる神社建築が本殿。
宇治上神社 本殿
一般的に目にする本殿の画像は、覆屋と呼ばれる本殿の覆い。言わば、カバー。
流造の覆屋の中に、同じく、流造の内殿が三棟組み入れられている。
中殿は独立しているが、左殿、右殿は。一部を覆屋と共有している。
拝殿(国宝)は、鎌倉時代の寝殿造形式による住宅建築を踏襲していると言われている。
シンメトリーで美しい造詣だと思う。
拝殿の前に、円錐型の砂山が盛り上げられている。これは「清め砂」といわれており、毎年9月1日に氏子によって奉納され、境内の清めの砂として1年間盛られ続けられている。
宇治上神社の説明を始め、仏教建築に関しては、「日本建築の底流」に詳しい。