天河大弁財天社
別名「天河神社」とも呼ばれている。
奈良県吉野郡天川村にある神社で、飛鳥時代に創建と言われる古社。
奈良中心部から南下すること、車で凡そ2時間、紀伊半島中央の険しい山中にある。
奈良の市街地を出発したときは雨だったが、途中から雪に変わる。
相当な深山に向かっていることが判る。
人を拒んでいる秘境の神社のよう。
自家用車が無ければ参拝は大変。
主祭神は、「市杵島姫命」(いちきしまひめのみこと)。
日本神話に登場する水の神。
参考までに、「市杵島姫命」は、宗像大社(福岡県宗像市)や、厳島神社(広島県廿日市市)の祭神で、宇佐神宮(大分県中津市)でも、二之御殿(3つ並んだ御殿の真ん中)で祀られている。
芸能の神として知られ、芸能関係者の参拝が多いそうである。
元の祭神名は、弁財天(サラスヴァティー)で、神仏分離により「市杵島姫命」と称するようになった。
ただし、現在でも社名に「弁財天」とついている通り、「弁財天」としても信仰されている。
厳島(宮島)や、竹生島(ちくぶしま:琵琶湖北側にある島)と同じく、日本三大弁財天のひとつだが、参詣者数の多寡から来る知名度の問題などもあり、世間的には「江島神社」の方を日本三大弁天の一つに数えることの方が多いとのこと。
拝殿等も新しくされ、驚いた。
ただ、社殿改築等の問題で破産したこともあったということで、大層ヤバかったなというのが実感。
個人的には、本殿を仰ぎ見ての印象が大事だと思っているのだが、天河神社では、ほとんど見えず残念だった。
ともあれ「天河神社」は、非常に古い時代から、高野・吉野・熊野といった大和三大霊場の中心である大峯山系に位置し、それはまさしく、紀伊半島の中心部でもあり、この神社や、この地域の意味の重大さは、我々の想像を遥かに超えるものかもしれない。
熊本地震でポピュラーになった「中央構造線」だが、紀伊半島を横断する「中央構造線」上にある、霊場・神社は、高野山、天河神社、伊勢神宮、である。
画像中は、本殿下にある「五社殿」。御祭神は手前から・・・
龍神大神:弁財天の化身なる龍神
大将軍大神:八つの杜の内森本神社
大日靈貴神:天照大御神の御別名
天神大神:菅原道真公
大地主大神:琵琶山の地主守神
[余談]
天河神社の後方には、弥山(みせん/1895m)という山がそびえ、この山頂に、「天河神社」の奥宮である、「弥山神社」がある。
弥山というのは、“中心にそびえる山”として仏教の世界観を表した「須弥山」(しゅみせん)から名付けられたもので大峯山系の中心的存在。
画像:澤 慎一
画像で見ても、「弥山神社」の社殿は非常に趣がある。
孤高、質素で、全てを削いだような空気感を感じる。
是非参拝したいものだが、私には行けそうもない距離なので残念。
所で、「弥山神社」の御祭神は、強烈、最大最強。
これ程の御祭神が集まっているのは、めったに無い。
大衆は一切の御託なく、ひれ伏さなければならないレベル。
以下は、由緒書から、「弥山神社御祭神」と、「大峯弥山御縁起」。
[弥山神社御祭神]
天之御中主神(『古事記』では、高天原に最初に出現した神。日本神話の最高神)
高御産巣日神(日本でに2番目に生まれた神)
神産巣日神(日本でに3番目に生まれた神)
伊邪那岐神
伊邪那美
天照大御神
月読命
建速須佐之男命
画像引用:くん子の部屋
[大峯弥山御縁起」
大峯弥山は、吉野熊野の大峯連峰中央に君臨し、峯中75靡(び)の54番目に評される全山原生林に覆われた荘厳なだらかな山として、神代から水の精、木の精、土の精等、大和の神々が鎮まる神奈備(神霊が宿る領域のこと)として信仰され、2004年には世界遺産に登録された。
弥山とは、宇宙の中心、万物の根源をなす須弥山の略称であり、役行者が大峯連峰に修験道場を開山。弥山において鎮護国家の神を祈ったところ天降る天女を弁財天感得せられ山頂に祀り、これが日本弁財天の初めとされ弥山大神と崇められた。
弁財天の神格は南北不二、胎蔵界金剛界不二の蘇悉地曼陀羅で内証は不動。外用は天女を示し長寿福徳の利を与えるとされ、大峯修験者達は、見え隠れする険しい大峯奥駆道を歩き弥山を仰ぎ見たとき、人間が達しうる水平的な奥の極点ともいえる場として捉え、また水神信仰根源地として祈りを捧げた。
近世には聖護院御殿や三宝院御殿を有し、大峯修験の宗教的権威の源泉として吉野熊野の奥院と称され、大峯本宮として位置づけられたが、明治の修験道廃止より周辺の御殿等は損なわれ、現在は昭和55年に造営された、弥山神社、役行者堂が祀られている。