石上神宮
石上神宮は、奈良県天理市布留町にある。
山の辺古道は知らなかったが、くしくも古道に沿って存在する、大神神社、檜原神社、石上神社と廻ることができた。
日本最古の神社の一つ。
『古事記』『日本書紀』には、石上神宮・石上振神宮の記述がある。
旧社格は官幣大社で、物部氏の総氏神。
伊勢神宮と共に、最も古く神宮号を称した。
参道から入ると、境内はうっそうとした常緑樹に包まれ、静粛な雰囲気に驚く。
石上神宮 拝殿(国宝)
画像は、「奈良に住んでみました」から。
拝殿は、鎌倉時代初期の建立と考えられている。
しかし、仏教様式色が強く、古い神社にしては派手に思えた。
ともあれ、拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定されている。
拝殿の前には、鎌倉時代末期に建てられた楼門が荘厳。
門の左右からは回廊が伸び、拝殿前庭を取り囲む。
石上神宮 楼門
画像は、「奈良に住んでみました」から。
楼門の、道を挟んだ向かいの石段の上に立てられているのは、摂社の出雲建雄神社。
この神社は摂社でありながら、石上神宮同様、極めて古い歴史を有する。
出雲建雄神社の本殿は小規模なものであるが、前には立派な割拝殿(わりはいでん)(国宝)が建っている。
割拝殿とは、中央に馬道(めどう)と呼ばれる土間を設け、通り抜けられるようになっている。
鎌倉後期の正安2年(1300年)の建造と、割拝殿の中では現存最古。
この割拝殿は、元々、石上神宮の南に存在していた内山永久寺の鎮守社、住吉神社(住吉社)の拝殿であったものを、大正3年(1914年)に現在地へ移築。
内山永久寺は平安時代末期に創建された寺院で、石上神宮の神宮寺的な存在でもあったが、明治期における廃仏毀釈によって明治9年(1876年)に廃絶となる。
その後、住吉社の本殿は、明治23年(1890年)に放火によって焼失。そのため、拝殿だけが荒廃して残されていた。
この割拝殿は、派手さはないが、はっとする程シンプルで潔い。
心に響く。
素晴らしい建築物だと思う。
出雲建雄神社本殿も、小振りではあるが、まとまりがよく、清々しい。
石上神宮摂社 出雲建雄神社 割拝殿
所で、石神神宮は、物部氏の氏神である。
物部氏の存在は、古代日本における大いなる謎といわれる。
物部氏は、饒速日(ニギハヤヒ)を祖先とする氏族。
初代天皇である神武天皇よりも前に天磐船によって大和入りをした(ヤマトと名付けたのも物部氏)。
天皇と同じく天孫降臨の一族といわれる。
神武天皇に帰服した後、長く代々の天皇に仕え、国の守護を任されるが、その後、日本の歴史から姿を消した。
参考までに
天橋立で有名な籠神社。古い元伊勢としても有名な神社。
ここの古い絵馬には、籠船に乗った、「天照国照彦火明命(饒速日尊=ニギハヤヒ)」と「市杵島姫命」が、高天原から天橋立に来たような図と、六芒星が書かれている。
様々な解釈が溢れるが、何れにせよ、物部氏や氏神である、饒速日(ニギハヤヒ)にまつわる謎は深い。