春日大社
前回、奈良を訪れた時には、行くことが出来なかった春日大社。
今回は、興福寺参拝の後、そのまま春日大社に向う。
春日大社 一の鳥居。ここから約1Kmの参道が始まる。
画像は、「地球の歩き方」から。
興福寺の駐車場に車を停め、春日に向かったのは正解だった。
一之鳥居をくぐり、長い表参道を歩いて本殿へ向かう。
長い参道は、外界から遮断された、神域へのアプローチ。
それが禊払いのようで、必要な時間に思える。
本殿近くにある、春日大社の駐車場に停めると、長い参道を歩く必要はないが、気持ちが整う時間も無い。
1月15日の春日大社の午後は、観光客で大層混んでいた。
スケジュール上、仕方がないが、やはり、神聖な神社の「気」(雰囲気)を感じるためには、人の少ない早朝に参拝するのがいい。
春日大社 中門・御廊(重要文化財)。
写真:渡部 洋一。「Travel.jp」から。
春日大社 西回廊と直会殿。
画像は、「ウィキペディア」から。
春日大社は、中臣氏(なかとみ:のちの藤原氏)の氏神を祀るため、768年に創設される。
全国に約1000社ある、春日神社の総本社。
中臣鎌足(なかとみのかまたり:614〜669)は、「大化の改新」の中心人物。
晩年、天智天皇から「藤原」姓を賜った。
中臣家は、代々「連(むらじ)」として、天皇家に仕え、祭祀を担当した。
「連(むらじ)」とは、天皇家のアマテラス以外の神の子孫の家系とされ、神と人の間を取り持つ役職なので、「中(なか)」臣という。
藤原永手(714―771)が、茨城県の鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチ)を、千葉県の香取神宮から経津主神(フツヌシ)を、大阪府の枚岡神社から天児屋根命(アメノコヤネ)と比売神(ヒメガミ)の4神を併せ、春日の地に四殿の社殿を造営し、創祀としている。
(はっきりしたことは不明)
その後、神仏習合の流れもあり、次第に興福寺と一体のものとなっていった。
皇族や貴族の春日詣も盛んとなり、天皇もたびたびここを訪れ、寺社としての格も上がっていった。
中世以降は、武家や庶民にまで信仰が広がり、日本全国で春日神社が建てられる。
奈良公園の鹿は、武甕槌命(タケミカヅチ)が、茨城の鹿島神宮から白い鹿に乗ってやってきたという、春日大社の伝説に基づき、手厚く保護されてきた。